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備忘録
2025/09/11[Thu]
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2020/05/31[Sun]
久しぶりに劇場版ペンギン・ハイウェイを見て鼻と喉と目頭がめちゃくちゃ痛むほど号泣してしまいました。
あれ…こんな…こんな泣ける話だったっけ…いや泣ける話だったわ…高校のとき図書館で原作読んだら先生に心配されるほど号泣したわ…何度見てもすき…。

だけどこの話、特に劇場版では、大人のずるさ卑怯さが散見してるなあと、何度目かの視聴で思ったわけです。
わたしが一番嫌いなのは、ハマモトパパの悪改変なんだけどさ。
劇場版ハマモトパパってば、森の謎を知るために、あろうことか娘の研究ノートを盗み見るの。娘が心配だったからだとか、街に起きている怪現象を見過ごすわけにはいかないだとか。大義名分はたくさんあるんだろうけど、けれどパパは研究者なわけで、自身の娘のことも研究者の卵だって認めてるわけで。
まっとうな研究者が、他の研究者の大切な研究を盗み見てもいいのだろうか。どんな理由があったとして、いち研究者としてそれは許されるべきではないのよね。
だというのにパパは、自身の研究が明るみになったことを察して森にやってきたハマモトさんを、危ないからっていう理由で怒鳴りつけるの。父親という面を被った最低の行為だよ。元はといえばあんたが娘の大事なノート見たのが悪いじゃろうがって。
あの改変は、父親としても研究者としても失格だと思う。何度見ても怒りが湧くし許せない。

もうひとつ、今回見てて思ったのが、お姉さんのずるさなのよね。
『海』とお姉さんの関係が明るみになればお姉さんが研究者たちに連れていかれてしまう、って心配するアオヤマくんに、「そうなればあたしがパッと消えちゃえばいいんだし」って言っちゃうの。
ああ、大人っていうのは、パッと消えてしまえるんだな、って思った。少なくともいなくなろうっていう思考が生まれるんだなって。
子供のころはさ、消えちゃおうとか、そんなこと思わないじゃん。自殺とかそういうのは抜きにして。普通に生きてきたとして。だれかを失った経験がないから、だから消えるなんて発想がないんだと思う。
だけど大人になっていくにつれて、自分を消す手段をいくらでも知って、まあ別に消えちゃってもいいよねって、気軽に口にしてしまえるようになる、実行してしまうようになる。
そういうずるさが、お姉さんにあるなあって。

いつものことだけどなにが言いたいのかわからなくなっちゃった。大人はずるいって話です。
まあ私も充分に大人なんですけど。消えちゃいたいなあって常日頃考えているだめな大人なんですけど。
そんなことを考えずに明日を生きていたあのころがまぶしいなあ、なんて思いつつ、今日はここまで。
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2020/04/04[Sat]
あきえ、って。名前をふと、思い出した。
中学校時代、すごく仲が良かった子なの。
どうして仲良くなったんだっけ。たしか1年生のとき同じクラスで、出席番号が前後してて。最初の席って出席番号順だからさ、その子と最初に話した気がする。たぶんそれがきっかけ。
根暗なわたしとは正反対に明るくて、かわいくて、いまでいうとパリピな子。2年のクラス替えで違うクラスになっちゃったんだけど、休憩時間にお互いのクラスをよく行き来しては話したり、手紙のやり取りをしてた覚えがある。いま思えばなんでタイプの違うわたしなんかと仲良くしてくれてたのかわかんないけど、わたしはすごく楽しかった、と思う。
その子は携帯電話持ってて、わたしは家のパソコンがあったから、メールでもやり取りしてたの。
わたしがたまにオリジナルの小説送ったりしてさ。律儀に読んでは感想くれてたなあ、懐かしい。
別の高校に行っても何回か、わたしの家に遊びにきたり、あの子の家にお邪魔してたりした気がする。たしかあっちは母子家庭で。妹がいたような覚えがある。
サバサバと話す子でね。女子のなかの女子、って見た目してるのに、女子であることを嫌ってるような、そんな子。
友達としてすごくすきだったなあ。付き合いやすかった。いま付き合いのある友達ってどこか、わたしがお世話焼いたりする子が多いんだけど。そういうのが全然なくて、すごく対等な、普通の友達だった気がする。すごくすきだったわりに記憶がおぼろなんだけどね。ごめんねあきえ。
高校生になって部活が忙しくなると、自然と付き合いがなくなってしまったんだけど。元気にしてるかなあ、って。いま世間がこういう状況だからさ、ふと思ったの。
実家に帰ればたぶん電話番号とかわかるんだけど。いつかいろいろ落ち着いたら、連絡してみようかな。
あの子がどんな大人になってるのか、まだわたしと付き合ってくれるのか。勝手に想像しつつ、今日はここまで。

2020/03/28[Sat]
昨日あるはずだった推しのライブが憎き新型ウイルスのせいで中止になったものの配信してくれたおかげでそのかわいさ美しさお茶目さ歌の上手さを周囲を憚らず堪能することができたわたしですこんにちは。今日も推しのおかげでいきてる。
推しってば音大出のひとで、ずっと音楽を表現する世界で生きてるみたいなんだけどさ。感覚で音楽を捉えてるんだよね、そのひと。こういう音すき!こんな音楽ありだよね!って歌つくっちゃえるひと。簡単にハモれちゃうひと。
感覚で表現してるから余計すきなんだと思う、推しのこと。
いやもちろん専門的な学校行ってるからには知識はあるんだろうけど。努力だってたくさんして今のあのひとがあることはわかってるんだけど。その中でも、論理的に組み立ててるひとと、感覚で紡ぐひとの2種類いるよな、ってわたしは思うんですよ。
わたしもその感覚型人間だから、だからこそすきなの。

両親が昔から楽器を吹いてたから、生まれたころから音に囲まれてたの、わたし。4歳からピアノ習い始めて、中学高校と吹奏楽部に入って。思えば音楽が身体に自然とインプットされてるんだろうなって。
ピアノやってた影響か、絶対音感があるんだけどさ。プロのひとみたいなすごいレベルのものではないんだけど。音楽やってて役に立つ程度には音感があるかなって感じ。
物心つく前からそういう音感があったものだから、音がわからない、ってひとがわからないんだよね。自慢とかじゃなくて、ほんとにわからないの。音の違いがわからないのがわからない。合わせられないのがわからない。
このせいで吹奏楽部時代はそこそこ苦労しました。だって感覚的に理解してるもんだから、教え方がわかんないんだもん。わたしみたいに音感が身についてる子には、これに合わせてね、って基本の音を示してあげれば理解してくれたから楽だったんだけど。その音がわからない子、音の合わせ方がわからない子には、どう伝えたらいいのかがわからなかった。
3年生にもなれば、わたしの方から合わせにいって正しくハマった音を聴かせてあげて、感覚的に覚えさせるって教え方をなんとか会得したんだけどさ。先輩だってがんばってるんです。
この感覚で理解してるってのは、音楽だけじゃなくて文章を書くこともなんだけど。
どうやって書いてるの、ってたまに聞かれても、感覚で、って答えるしかなくて。たまにツイッターとかで流れてくる上手な小説の書き方みたいなのを見て、ああわたしこういうことやって文章書いてるんだなって、そこではじめて論理的に理解なぞしているわけで。

ええと、なんの話だっけ。
だからそう、わたしと同じように、感覚で音楽を紡ぐひとがすき。わたしの感覚で理解できる音楽がすき。だからいまの推しの音楽感がすき。感覚のままに音楽をしている推しがすき。
すきが募りつつ、文章が迷子になってきたんで今日はここまで。

2019/12/11[Wed]

ついったーでバズってた、博多大吉さんのはなし。母の言葉が呪いのように残ってます、なんてどぎついコメントに、時間を置いて返答したってやつ。知らないひとはついったーで検索してね。
もともと大吉さん(の顔)すきだったんだけどさ、このエピソード聞いてもっとすきになりまして。ほら大吉さんみたいなさ、顔は整ってるんだけどちょっとしょぼくれてて人がよさそうで、笑うと目尻にしわが寄る男のひとがだいすきなんだよね。

いや、本題はそこじゃないんだ。
わたしが言いたいのは、親の言葉は呪いになり得るってこと。放った本人にとってはなんてことない、何気ない一言であったとしても、子供には重く深く響く。それが小さいころであればあるほど、より強く刺さるのね。
誰しもきっとひとつやふたつある、ありきたりなことなんだろうけど。そのありきたりが、わたしにもいくつかあって。

「大丈夫なわけないでしょ」って、言われたことがある。
わたしの母親はあまり身体が丈夫なひとではなくてね。記憶にあるころから、よく臥せったり具合悪そうにしてたんだけど。
たしかそのときも、すごく具合悪そうだったんだ。母親がしんどそうに横になってた気がする。弟はその場にいなかった気がする。いなくてよかったって思う。わたしはたぶん小学生くらいだった。大丈夫、って聞いたの。子供の目から見ても苦しそうにしてたから。心配だったの。
「大丈夫なわけないでしょ」って。苦しそうに、面倒くさそうに、相手してる余裕なんてないって風に、向けられた言葉をいまも、覚えてる。
傷ついた、のかな、いまとなってはよくわかんないんだけど。突き放されたように感じたのかもしれない、心配を無下にされて悲しかったのかもしれない。わかんないけど、でも、いまでも心に刺さってる。母親に限らず、しんどそうにしてるひとを前にするたびに、あの日の言葉を思い出して、大丈夫、って聞けなくなっちゃう、だって大丈夫なわけないって返されるのがこわいから。
そんな刺さったままの棘が、今回の大吉さんの件の記事読んで急に思い出したように痛み出したのね。
ああ、これは呪いだったんだ。呪縛だったんだ。わたしはいまも、あの日の言葉に縛られてるんだ、って。

どうして母親の言葉ってこんなに残ってしまうんだろう。小さいころは父親からもひどい言葉だったり、態度だったりを向けられてたはずなのに。一切を忘れたわけではないけど、少なくともいまはどうともない。うちの場合はまあ育ててくれた恩ってのもあるんだろうけど。
ただわたしは、そんないろんな言葉の積み重ねでいまも母親のことが心からはすきになれない。相変わらずいろんなところに病気持ってる母親をもちろん心配するけども、だけどやっぱりどこか線を引いてしまう。いろんな場面のいろんな言葉が、わたしと母親との距離を作ってしまっている。
ここに吐き出すことで、その距離が少しでも埋まればいいなって思うのは、わたしが少しばかりは大人になった証拠なんだろうか。
などと感傷に浸りつつ、今日はここまで。

2019/11/25[Mon]
アナ雪が日本で公開する一週間くらい前だった気がする。
大学受験も終わってたいへん暇していたころ。ちょうど九州の祖母宅に帰省してて。なんとなく点いてたテレビから流れた、アナ雪公開前特集。
それまでディズニー作品なんてライオンキングとターザンと、美女と野獣はぼんやり知ってるかな、それよりもピクサーがすきだな、程度にしか見たことなくて。ディズニーランドだって、小学生のときに母親と一回、修学旅行でもう一回くらいしか行ったことなくて。楽しいけど遠いしわざわざ行くほどでもないよねって感覚。
そんなわたしがぼんやり特集みてて、いまのアニメってこんなにすごいんだ、アナ雪ってなんか面白そう、って感じた気がする。曖昧。
とにもかくにもその特集で、アナ雪、って単語がすごくインプットされてて。地元に帰って、公開日の次の日くらいに見に行ったんだよね。
第一印象は、なんだこのエンド。ハッピーエンドなのはわかるけど、なにせディズニーに耐性がなかったもんだから、愛はすべてを救う、愛があれば、みたいな某24時間テレビっぽい思考が理解できなくて。なぁんだ全然面白くないじゃん、拍子抜けしたなあ、って。迎えに来てもらった車の中で、母親に喋ってたの、そんなに面白くなかったよって。
そこまで面白くないなら逆に気になるね、ってことで母親も行くことになって。それじゃあわたしももう一回見るよ暇だしねってことで、次の日、初見の母親と二回目のわたしでアナ雪を見たの。思えばこれが、同じ映画を二度も見たはじめての日だったんだよね。いまでは某キャロル10回とか某アトブロ6回とか普通に通うようになっちゃうわけだけども。
二回目、って、ふしぎ。結末がわかってるから、いま見ているひとつひとつがどこに繋がっているかわかるの。当たり前なんだけどさ、そうするとするするストーリーが入ってきて、一度目では感じなかったことまで胸に去来して。
すごく、すごくよかったの。なんてすごいんだディズニー見直したぞ、って。べつに見損なってたわけじゃないし、何様だよって感じだけど。May J.のエンドソングを聞きながら、とにかくすごく感動した。
なによりエルサの存在が大きかった。戴冠式を前に、不安そうに眉をひそめるエルサ。守るように自分を抱えて、妹さえも拒絶して、だけどLet it goではそれまでとは打って変わって本当に楽しそうに魔法を行使する。そんなエルサに、陛下に、気付けばどうしようもなくのめりこんでたの。
すぐさまpixivで検索したよ。だれか書いてないかなって。わたしと同じ気持ちになった人はいないかなって。イラストを描いている人はそこそこいたんだけど、小説はまだほんの数人しかいなくて。ないなら書けばいいじゃない。そんな気持ちで投稿したの。たしか4回見たあと。当時のわたしにはそこしか吐き出す場所がなかったから。映画から感じたことを、自分の考えるエルサを、ありったけ。アナ雪小説1ページ目にわたしの初アナ雪小説があることはいまでも少し誇り。ないしょだけどね。
ハイペースで書いていって、それでもまだ足りなくて、5月ごろかな、ついにツイッターをはじめたの。りついーととはなんぞや、ふぁぼとはなんぞやって感じだったからいままで敬遠してたんだけど、どうしても誰かと語り合いたくなっちゃって。
だいすきな物書きさん、だいすきな絵描きさんと繋がれた。わたしの紡いだお話を、えがいた陛下をすきだと言ってくれるひとがいた。はじめて高速バスに乗ってオフ会に参加した。当たり前なんだけど、画面の向こう側にも人がいるんだなって知った。はじめて女の人と付き合った。あれだけ興味のなかったディズニーに、夜行バスで何度も通った。初年度フロファンの空気を覚えてる。画面から会いにきてくれた陛下の美しさを覚えてる。いつの間にか国王夫妻もすきになってた。ひとよりもうんとお話を書いた自負がある。はじめて同人誌をつくった。エルサのおかげでシーの春や秋に出逢えた。ともだちがたくさんできた。大切なひとがたくさん増えた。すきなお話をたくさん見てきた。おかげで移住までした。そうしていま、こうして、陛下に会いたくてひとりランドにいるのもぜんぶぜんぶ、エルサのおかげ。エルサがいたから、いまのわたしがいる。エルサがいなければ、いまのわたしはどこにもいなかった。もしかしたら別の作品にハマって、別の作品の影響でツイッターをはじめて、別のひとたちと交流して、楽しくしてたかもしれない。でもいまのわたしはいなかった。いまランドでチョコレートアイスを食べてるわたしはいなかったの。
エルサ、ねえエルサ、ぜんぶぜんぶ、エルサのおかげなの。
だけどFROZEN2を一回見て、二回見て、三回見て。エルサはいなくなっちゃったんだ、って。わたしのなかにたしかにいたはずのエルサが、エルサの居場所が、ぽっかり空いちゃった気がしたの。元々手が届かなかったことは知ってる、ただの押し付けだってこともわかってる、妄想をこじらせた厄介オタクだってことも重々承知してる、だけどね、エルサ、エルサがどこにもいないよ。わたしの愛した陛下がもう、遠い場所でわらってるよ。
いまとてもむなしくて、さみしくてたまらない。この5年間はなんだったんだろうって。エルサを追いかけてここまで来たのに急に置いてけぼりにされちゃったような、ひとりきりになっちゃったような、そんな気持ち。すごくすごく勝手なんだけどね。
それだけわたしは陛下がすきだった。だれよりも、なんてことは言わないけど、自分がもてる全力で、陛下のことを敬愛してた。あいしてた。
まだ受け止めるには自分のなかのなにかが足りない。時間が経てば経つほどこわくなる。自覚してしまうことが、結末を受け入れることが。
だけどね、エルサ、エルサがしあわせそうにわらってたから。Let it goの最後と同じように、光をあびて、息を吸いこんで、満足そうに微笑んで、みずから踏み出したあなたがいたから。いつになるかわからないけど、わたしは、あなたの選び取った未来を、選択した生き方を、がんばって受け止めるよ。
ねえエルサ、すきだよ、ずっとずっとすき。あなた自身だけじゃなく、わたしを変えてくれてありがとう。すきです。

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