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備忘録
2025/09/13[Sat]
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2018/04/12[Thu]

だいすきだった先生のお話をします(唐突)

高校のころの国語の先生がすき、でした。とてもすきでした。きっと憧れも多分に含まれていたんだろうけど、それでもあれはただの憧憬ではなくたしかに恋、だったのね。
字が、とても美しい先生でした。ノートの文字はもちろんのこと、黒板に記すチョークの字だってはちゃめちゃにきれいでね、板書も忘れて見惚れてたら、いつのまにか写してない箇所がもう消されちゃってたってこともよくあったなあ。あほ極まってたわ。
専門は古典なんだけど、もちろん現代文も受け持ってて。朗々と音読する文学がするすると頭に入ってきて。あの時間がすごくすきだったの。

担任を受け持ってもらったことはなかったんだけど、隙あらば国語準備室に突撃して教えを乞うてたから顔も名前もすぐ覚えてもらってたの。まあ高校時代はいろいろあったので、その先生どころか学校中の教師にわたしの名前が知れ渡っていたわけですが。
でもわたし、国語だけは唯一の得意科目だから、教えてもらおうにもわかんないところがなくて、逆にわかんない箇所がわかんないですって状態で。それでもどうしても先生とお話する時間をつくりたくて、こんなの絶対試験に出ないだろってとこばっかり聞いてたの。いま思えば先生、あんな重箱の隅つつきまくった質問によく懇切丁寧に答えてくれてたなあ。ありがたい。

一度だけ。その日もやっぱり重箱の隅話をしてて、もうこれで聞くことないなあ帰らなきゃってときにね。お昼前だったから、あなたお昼ごはんはちゃんとあるの?って聞かれて。ないので空気たべるしかないですね、って答えたら、それじゃあおなかすくわよって。
いちごのチョコレート、くれたのね、明治の。たぶん先生がおやつにたべてたやつ。あんまり残ってないけど、なんて、まだ半分もあるチョコくれて。
それだけ、たったそれだけなんだけど、それだけのことがひどくうれしくて。ゆーっくりゆーっくりたべて、その包み紙でさえ、もったいなくてしばらくは捨てれなくて。

いまでもコンビニで見かけたら無意識に手に取っちゃうの。さっきも気付けばレジに持ってっちゃってて、いつまで経っても変わらないなあわたし、って。ふと思い出しちゃったりして。
この先生に関するエピソードはまだまだたくさんあるんだけど、思い出に息をとめられそうになってきたので今日はここまで。
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2018/04/11[Wed]

そろそろ香水変えたいなあと思いつつまだ半分ほど残ってるのは物持ちがいいのかなんなのか。ほぼ一年使ってるのに半分あるってどうよ。もっとこまめに振っていいものなのかしら。
香りを間違って買ったものの、なんだかんだで気に入ってるからいいんだけれども。

そう、わたしね、においがすごくすきなの。たぶんフェチの中でも上位に位置するのではってくらい。それはたとえば香水でもシャンプーでもボディソープでも柔軟剤でもたべものでも、いいにおいのするものならなんでも。
高校生のころ、よくともだちの髪すんすんしてシャンプーの銘柄を当てては気持ち悪がられてたのはいい思い出。いやよくはない。気持ち悪いなそいつ。だれだよ。わたしか。

においが一番、記憶に残ると思うの、少なくともわたしの場合は。
記憶力のよわいオタクだから人の顔とか声とかすぐ忘れちゃうんだけど、その人の香りはいつまで経っても覚えてて。どこかでふと香ったそれが、ああ、あの人と同じにおいだなあなんて思ってしまって。いないとわかっていながらつい探してしまって。だめなにんげんです。
それでもわたしはその人のにおいを覚えていたくて、その人がどんな香りをまとっていたのか忘れたくなくて、つい身を寄せちゃうんですよね。そんなだからすぐ自分にも移っちゃって、その人とばいばいした後も香っちゃうのに。なんてだめなにんげんだ。

そんなわたしがいま使ってる香水はGIORGIO ARMANIのSiです。けとさまといっしょ!(いっしょではない)
振った直後ははっとする香りで、でも時間が経てば甘やかになるの。結構すきなにおい。
本当は他のもっと甘い香りにするつもりだったんだけど、いろいろ耐え切れなくてこれにしちゃって。それでも銘柄は同じだから、ふとしたときに似たそれが鼻先をかすめていって余計、恋しくなっちゃうんですよね。

もしなくなったら、もういっそ同じものにしてしまおうかな。
香りに焦がれつつ、今日はここまで。


2018/04/09[Mon]

洒落春にいらっしゃるかたの胸鎖乳突筋にもだえる日々です、こんにちは。
洒落春のお写真を見かける端から保存していくものだからカメラロールがめっちゃ春。色合いがまぶしすぎる。しあわせ。

わたしね、看護学部に通っていた時期があったんです、おもいっきり文系人間なのに。
もちろん目標があって志望したわけだけれども、挫折しちゃうくらい厳しかったのね、いろいろと。まず片道一時間半かかる通学と本数の少ない電車に心が折れました。だって毎朝5時起きの21時帰りで帰宅後毎日のように手書きレポート作成と勉強なんて、息あがっちゃうでしょ普通。
そんなの会社員と変わらないじゃんできるでしょ、って言う人はどうぞやってみて。実際にやってる人は、どうもお疲れさまです。こんな生活、やらないに越したことはないのよ。少なくとも音を上げない人がえらいみたいな世の中はどうかと思うのよねわたし。
んん、話が逸れちゃった。

そういう生活なもので平日はバイトできないからって、週末に深夜バイト入れてたのね。23時から8時まで。金曜の夜から土曜の朝にかけてせっせと牛丼つくって、帰って寝て16時ごろ起きて、また土曜の夜もバイトに勤しんで。
いやがんばりすぎだわそのころのわたし。えらい(自画自賛)
それからやっぱり、理系がわかんなくて。勉強不足うんぬんよりも、根本的に理解ができないからきっとわたしはどこまでも文系に生きてるんだと思う。何度計算し直してもちゃんとつくれなかった生理食塩水はいまでもトラウマ。あとついでに遺体見学もトラウマ。淡々とご遺体を解剖するお医者さんの、ぶちぶちぶちぃって首のすじを切る光景を思い出すといまでもケンタッキーチキンたべるのためらっちゃう。たべるけど。

だからやめちゃおうって。自分の得意なこと、すきなことをしようって。
休学して半年でちゃんと次の学校入ったんだから相当えらいですねわたし。前回の受験よりも真面目に勉強したかもしれない。中退したっていうのは、あまり褒められたことではないんだけど。
でもやっぱり、自分が一番できることをやるのがいいんだなあと思う日々です。

と。そういう話ではなくて。
看護を学んでいたから当然、人体の勉強もしていたわけで。解剖学とかも受けていたわけで。
そのとき得た知識がいまもんのすごく役に立ってるの。なんてったって推しのすきな部位が言える。すばらしい。ちなみに前述したかたは胸鎖乳突筋と尺骨茎状突起と腋窩がすきです。嘆くべくはだれにも理解してもらえないことです。かなしい。

推しの人体のつくりに感動しつつ、今日はここまで。

2018/04/07[Sat]

金曜の夜ってこともあって昨日のお仕事死ぬほど忙しかったんだけど、美人なお姉さんがいたのでなんとか持ちこたえました。吐きそうなほど忙しかったけども。えらいぞわたし。火曜も忙しいこと確定してるけども。がんばれわたし。

そういえばわたし、年上の人にかわいがってもらえることが多いのよね。お姉さん好きのわたしにとってはとてもありがたいことです。
小さいころから母によく連れられていたから、大人に囲まれる状況が多くて。それでたぶん、大人との付き合い方というか、かわいがられ方というか、そういうのを感覚的に身につけてるんだと思う。
わたしとしてはぜひともそこからお付き合いやらデートやらに発展させていきたいところなんだけれども、どうしてだかみんな保護者ポジションに落ち着いてしまうのよね。あれか。放っておけない性格してるからとか、そういうことか。そういうことにしておきましょう。わたしが子供っぽいからだとか、頼りなさそうだとか、世話したくなるだとか、そういうのではないです、決して。
年下とも過ごす機会が多くて、結構頼られるタイプだと思ってたんだけどなあ、わたし。
首かしげないで。思ったよりしっかりしてるのよ、わたし。きっと。めいびー。

そう、色々あっていまは、年下ばかりが周りにいるって状況なんだよね。だからうんと年上とも年下とも付き合っていけるんだけど。だからこそ、同い年が苦手。
同級生ってさ、どうやって話していいかわかんないの。なんの話題を持ち寄って、どういうことで盛り上がればいいのか、まるでわかんないの。きっと相手も、わたしをどう扱っていいものやら悩んでるんだろうけど。そこはほんとに、申し訳ないなって思うのね、いつも。
それでも仲良くしてくれている友人には感謝してもしきれない。こんな同級生でごめんねって思いつつ、だけどすごくありがたいし、うれしいの。ここで書いたって届くわけではないんだけど、いっぱいの感謝をひとつ。

その友人たちとももうすぐ会えるはずなので、いまから非常に楽しみです。
去年にくらべて太ったね、なんて言われないよう減量に励みつつ、今日はここまで。


2018/04/06[Fri]

今日はmy motherのお誕生日でした。はっぴーばーすでー!申し訳ないことにすっかり忘れていたわけですが。
46歳ですって。22歳のときに産んだから、わたしの歳にはもう2歳になる娘がいたわけで。すごいなあ。たとえわたしがいま学生じゃなかったとしても、子供がいる自分ってちっとも想像できない。
そういえばうちのお隣さん、小学校時代の同級生のおじいちゃんなんだけど、同級生の子供がもう5歳になるって言ってて、それもまたひええって感じなんだけど。

というわけで、母の話。
うちの母はとてもすごい人なの。努力家で、何事にも興味を持って、広く深く知識を蓄えていて。友人が多くて、交友関係が広くて。自分のことなんてそっちのけで家族とか友人を最優先にしちゃうし、人のうれしい出来事をまるで自分のことみたいに喜べちゃう、そんな人。
母の友人たちに昔からよく言われてたの、こんなお母さんがいてしあわせだね、って。
もちろん誇りに思うことも尊敬することだってたくさんあるし、世間的にはきっとこういう人の方が受け入れられやすいことはわかってるんだけど。だけどそれでもその言葉に心から素直に頷くことができなかったの、ずっと。
だって母とわたしは血がつながっちゃってるもの。わたしの20年後の姿なんだもの。そう思うと、ああ、わたしはこんな人にはなりたくないなって、こんな人には決してなるもんかって。小さいころからずっと、そう思ってたの。
強くそう思うことになった出来事があるんだけど、割愛。あのときの言葉は、景色は、思い出してもいやになっちゃうから。お姉ちゃんなんだから我慢しなくちゃ、って、涙をこらえてたあのときを思い出しちゃうから。
だからわたしは、妻や母親にならない方がいいんだろうな、きっと同じ道をたどっちゃうもの。それだけは本当にいや。

こうやってずっと恨みつらみを抱えているのかといえばそうではなくて。傍から見れば家族仲は良好だし、むしろなんでそんな状況でそんなに仲がいいのかなんて不思議に思われるくらい。
いまは、あのときああしなければなかなかった母の状況も心情も理解できるの。母もつらかったんだなって。きらいでは、なくなったかな。たぶん、わたしもあのときよりは大人になったんだろう、ってことで。

なんで今日こんなに暗いのかって、洒落春が風キャンでデザイナーのお写真が全然上がってこないからですよ(憤怒)
千葉の海に想いを馳せつつ、今日はここまで。


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