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備忘録
2025/10/03[Fri]
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2024/06/30[Sun]

2008年6月28日土曜日。小雨が降っていたと思う。
朝からずっと、猫の小さな鳴き声が聞こえてたの。野良猫の多い地域だったから猫はしょっちゅう見かけてたんだけど、家の近くでずーっと鳴いてるなんて珍しかったんだよね。
気になって外に出てみたら、家の前の雑木林にちっちゃい黒猫がいたの。段ボールの中にいたから、もしかしたら捨てられたのかもしれない。
当時のわたしが何を思ったのか、もう忘れちゃったんだけど。その子をうちに連れ帰ったんだよね。
家族はみんな外出してたし、猫なんて飼ったこともごはんをあげたこともなかったし、その時は携帯電話もパソコンも持ってなかったからもうなんにも分かんなくて、だけどなにか食べさせなくちゃ!って、とりあえず家にあったベーコンを食べさせました。
いやこれほんとにダメだったなって反省してる。塩分過多じゃん。猫は喜んで食べておりましたけれども。身体に悪いものはおいしいもんな。そのせいか分からないけどうちの猫、他の人間食にはあんまり興味ないのにベーコンにだけは反応するようになったんだよね。ごめんて。
帰ってきた家族はそれはもう驚いてた気がする。帰宅したら娘がちっちゃい黒猫抱えてんだもん、そりゃあそう。
拾ってきちゃったものは仕方ない、ってことで父親はあっさりOK。反対したのは母親のほう。猫を飼ってるから賛成してくれるかと思ってたんだけど、飼ってるからこそいきものと暮らす大変さを知ってたんだろうね。
どうにかこうにか了承もらって、生後約3ヶ月のちっちゃな黒猫は晴れてうちの子になりました。

あの子が来てから、大きな出来事は二つあったかな。
一つは天井が抜けたこと。
うちの猫、二階の屋根裏に上るのがすきだったんだよね。古い家だったから押し入れの天井が壊れて開いてたんだけど、そこから屋根裏に上ってたの。
それを心配したのか気になったのか、弟がなぜか追いかけちゃって。人間の体重に耐えきれなかった天井が思いっきり抜けちゃったのよ。大きな音に驚いて二階に行ったら、天井から落ちて泣いてる弟と、屋根裏からまんまるな目でこっちを見てる猫がいたのを覚えてる。
あの修理費は痛い出費だったなあ…って後々父親がぼやいてました。

もう一つは腎臓結石になったこと。
たしか一歳ごろだったかな、夜中にぐったりしてたの。病院は開いてないしどうにもしてあげられなくて、とりあえず一晩中そばにいた覚えがある。そうして翌日病院に連れて行ったら腎臓結石ですねって。
PHコントロール用の食事を買って、それからごはんはずっとそれ。ちゅーるも缶詰もあげたことがないの。文句も抗議もなくずっと同じごはんを食べてたな、あの子。飽きたりしなかったのかな。わかんないけど。

それ以外は全然手のかからない子だったなあ。
トイレは一発で覚えてくれたし(たぶん飼われてたんだろうね)、マーキングしなかったし、おもちゃもキャットタワーもそんなに反応しなかったし、爪切りもあんまり嫌がらないし。たまに脱走してたけど、ビビりなのかなんなのか、遠くに行かず目の前のアパートの駐車場で固まってたし。
クールで孤高な子だったんですね、って言われた。そうかもしれない。

目が見えなくなっちゃったのはいつからだろう。たしか2022年の年末に帰省したときにはもう視力が悪くなってたと思う。
ずっと目がまんまるなの。そろりそろり歩いて、壁にぶつかる直前にたぶんヒゲで感知して、方向転換して壁に沿って歩いたりしてた。ごはんとかトイレの場所は覚えてたみたいだから、日常生活にはあまり支障が無さそうだったけど。
そのころから急に老いを感じ始めちゃったんだよね。若いころは9キロあった体重も半分くらいに落ちちゃって、白い毛が増えて、走り回ることがなくなって、でも毛並みはいつまでも綺麗だったな。
なんだかいのちの終わりが見えてる感じがした。どうか次に帰省したときも元気でいてくれますようにって、会うたびに祈ってたの。

2024年の5月にね、急にごはんを食べなくなっちゃったの。
一階の押し入れがお気に入りで、そこでよく寝てたんだけど、なんか鳴いてるなと思って開けたら猫がぐったり倒れてたって父親が言ってた。腎臓も肝臓も悪くなくて、胃腸炎の可能性もあるからとりあえず抗生物質を打ったけどおそらく年齢のせいだろうって。
点滴をした。ごはんを食べなくなった。介護食に切り替えた。水をあまり飲まなくなった。きっと老衰だと思うから自然に任せます。父親から都度送られてくる状況にひと晩悩んだの。
悩んで悩んで、翌日の日曜日に実家に帰りました。看取ってあげよう、って。だってあの子を連れてきたのはわたしだから。

猫ね、畳でぐったり横になってたの。
帰ってきたよって声をかけたら、手のにおいを嗅いで、んなあ、って鳴いて。わたしだってわかったのかな、覚えてたのかな、もう年に二回くらいしか帰ってないのにね。
このときばかりはリモートワークに感謝しつつ、仕事しながら猫のそばにずーっといたの。呼吸が苦しいのか時折掠れた声で鳴くことがあって。大丈夫だよ、ここにいるよ、って前足を握ってた。そうすると爪が食い込むほどぎゅうって腕を抱いてくるの。苦しいよね、そうだよね。どうして代わってあげられないんだろうって、どうもしてあげられないことが悲しくて申し訳なくて泣いてた。

2024年5月13日の22時ごろ、息を引き取りました。16歳と3ヶ月でした。
段々と呼吸の間隔が長くなっていって、いつ呼吸が止まったのかもわからないくらいだった。父親とふたりで確認して、なんだかまだ生きてるみたいだねって。熱の残る身体をずっと撫でてた。わたしも父親もそばにいられる時間まで待っててくれたのかな、最期までいい子だね、きみは。

母親にいろいろ手配してもらって、翌日の夜に火葬したの。
火葬場までの車内で、窓の外をぼんやり眺めながらずっと撫でてたの。そしたら火葬場の人が猫に触ったときに、あたたかいですね、きっと道中ずっとふれて撫でてこられたんでしょうね、って。体温って移るものなんだね。

帰省してからずっと、それこそ一生分の涙を流してたんだけど。火葬が終わって遺骨を見てからは涙が出なくなっちゃった。なんというか、もうここにはいないんだなって。目の前の骨はたしかにうちの猫なんだろうけど、でももう、ふれて撫でて名前を呼ぶことはできないんだなって、そう思った。実感が湧かない、っていうのとは違くて、なんだろ、ほんとにいなくなっちゃったんだなって、腑に落ちたというか、理解したというか。うまく言えないんだけど。

骨をひとつひとつ拾いながら、火葬場の人に思い出話をしたんだよね。天井が抜けた話、結石になった話。あんまり手がかからなくて、必要以上に甘えてこなくて、だっこされるのはあんまりすきじゃなくて、黒いかばんがすきでよく乗ってきたこととかを、ひとつひとつ。
いざ思い出話をするってなると、あんまり出てこないものだね。それだけあの子がいる日々が日常になってたのかもしれない。もっと大切に過ごせばよかったな。もう今更なんだけど。
葬儀とか火葬って、生きてる側のためにやることなんだなって思った。わたしは神も仏も天国も地獄も輪廻転生もなにひとつ信じちゃいないから、骨を納めて過去を整理しているこの行為は全部生者側の心の安寧のためにやってることなんだろうなって。

時々ふっと感じるんだよね。ああ、もうあの子はいないんだなって。たとえばツイッターで猫の写真とか動画を見たときに。近所の野良猫を見かけたときに。ぼんやり景色を眺めてるときに。実家に帰りたいなあって思ったときに。こうして文章を綴りながらあの子のことを思い出してるときに。この世界のどこにもあの子はいなくて、だけどわたしの日常はなにひとつ変わってはいなくて。腕にぎゅうって縋ってきたときに手首についたひっかき傷が一生消えなければいいって思ってたのにいつの間にか治ってしまっていて、それがなによりもさみしくて。一生分泣いたはずなのに、いまだに涙があふれてしまうの。

猫が亡くなる前日にね、夢を見たの。
猫ってば自分の名前を「かわいい」だと思ってるみたいで、ずっと「かわいい、かわいい」って言ってたのよね。この子自分の名前ちゃんとわかってんのかなあって心配になっちゃって、翌日はずっとずーっと名前を呼んでたのよ。
ね、きみの名前はダイゴだよ。わたしの初恋のウルトラマンからもらったの。できれば覚えていてほしいけど、きみが忘れたとしても、わたしがずっと覚えてるから。

今日はあの子の四十九日だから、つらつらと心を整理してみました。なんにもまとまってないけど。わたしの人生の半分以上にあの子がいたんだもん、どれだけ時間をかけたってまとまるはずがないよ。
ね、ダイゴ。転生なんて信じてないって言ったけど、きみさえよければまた猫として、うちに来てくれたら嬉しいな。きみの重さが、体温が、なにもかもが恋しいよ。
ありがとね、わたしと出逢ってくれて。だいすきだよ。
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