備忘録
2025/09/10[Wed]
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2025/01/05[Sun]
長かったはずのお正月休みがあと数時間で終わろうとしています。信じられない。
本当は6日が仕事始めだったはずなんだけど、なんやかんやで5日から仕事する羽目になりました。別に日曜労働を強制されてるわけではないんだけど、働かないと月曜のわたしがしんでしまうので…年末に仕事を納めきれなかった自分が悪い、それはそう…。
現実逃避も兼ねて、2024年の振り返りをしてみましょうかね。よければお付き合いいただけますと幸いです。
◇体調の話
厄年だったんかなってくらいハチャメチャに体調崩しまくってました。わたしの2024年の底は5月6月でしたね。
6月後半の休職中に京都行ったり某同人声優さんと初めて通話させていただいたりして充分リフレッシュしたつもりだったんだけど、7月入ってすぐ復帰したらやっぱり体調戻ってなかったみたいで体調も精神も息切れしちゃったんだよね。夏は一番忙しい時期だし、復職したばっかりだから倒れるわけにはいかないって、気力でなんとか持ち堪えてたんだけど。
ずっとずーっとうっすら体調悪かったのが、12月のインフルをきっかけに崩れちゃった気がする。あの一週間が人生至上最高の体調不良だったわね。元々健康不良児ではありましたけれども。
勝手にママって呼んでる職場の人に体調の話をしたんだけどさ、その人が言うにはわたしの年齢って女性的に節目の年齢らしいのよ。体調に限らず体質やら肌質やらホルモンバランスやらいろんなものが変わっちゃうって。
いやキリのよい年齢だからそうだろうなぁとは思っていましたけれども。
そのママもわたしと同じく気圧に弱い人だからさ、体調の具合が似てる人にそう言ってもらえてちょっと安心したんだよね。わたしだけじゃないんだって。変化はするけど、おそらくきっと対処できるものなんだろうなって。体調崩しまくって迷惑かけてる自分を受け止めてもらえた気がして、嬉しくて安心して少し泣きそうになっちゃった。
かといってこれ以上甘えるつもりはないので、不調に負けない体力をつけます。2025の目標です。
◇某同人声優さんの話
2024年、この人のおかげで間違いなく人生が変わりました。誇張でもなんでもなく。
みなさんご存じだろうけど、よければ沼に落ちたきっかけを聞いてくださいな。
とんでもない百合音声作品を聴いたんですよ、って話を聞いたのが5/19だったかな。
5/22の推し出演イベントへの差し入れを買いに行こうってことでフォロワーさんと会ったんだけど、その時に聞いたんだよね、某茶道の先生作品の話を。声も演技もすごく刺さって、だけど成人向けだから恥ずかしくて途中で止めちゃって、みたいなことを言ってた気がする。新宿の星野珈琲店で。
オススメされたものはホイホイ手を出しちゃう人間なもんで、その夜さっそく購入しちゃったんですよ。そこが分岐点でしたね。支援サイトやら配信やらを覗いていたらあれよあれよという間に見事に落ちました、底なしの沼に。お名前を知って一週間後にお手紙を書いて、二週間後には一番上の有料プランに加入してました。沈む速度があまりに速すぎる。もう抜け出せません。某氏は責任取ってわたしと一緒に沼に浸かっていてくださいね、ずっと。
なんでこんなに好きになっちゃったのかなあ、って考えてたんですよ。
まず声が好きなんですよね。低音だけど低すぎない、身体の底に響くような、落ち着いた聴き取りやすい声。ああいう声質の人って、所属の声優さんでも少ないじゃない。無理に作ったようなぼそぼそした低音ボイスがあまり好きじゃないから、あの人の声は好みにドンピシャだったんだよね。
それから演技力。実際に息づいているような、息遣いのある芝居が上手い人だと思うのよね。
Ci-enに置いていらっしゃるような甘々ボイスももちろん好きなんだけど、感情の起伏が大きい愛憎入り混じった人間臭い台本のほうがより演技力が光ってる気がする。何様なんだって物言いで大変申し訳ないんですけれども。単にわたしの好みの話かもしれない。
沼への導入は声と演技だったんだけど、知れば知るほどあの人の人となりが好きだなあって、さらに好きになっちゃうんですよね。
好きポイント、まとめられなかったんで列挙していきます。
言葉を慎重に選ぶところ。きっと言葉が癒やしになることも暴力になりうることも知っている人なんだろうね。言葉を大切にする人が、わたしはとてもすきです。
ファンへの心遣いを忘れないところ。ご自身のやりたいことをやっている中で、あなたも好きなものだったら一緒に楽しんでねっていうスタンスではあるけれど、無理して追いかけないでほしいってちゃんと伝えてくれる人なんだよね。だから安心して好きでいられるの。わたしはわたしのためにあの人がすき。そういうスタンスです、わたしは。
人の話を自分のことのように聞いてくれるところ。愛情が深いっていうよりは、痛みを、悲しみを、喜びを理解できる人なんだろうなって思った。自分の人生でもそういうのを抱えて生きてらっしゃるんだろうなって。生きていればみんな抱える感情ではあるんだけれども、そういうのを人一倍感じ取る人なんじゃないかなって。全部わたしの妄想なんですけれども。そういうのがきっと演技に活きているのではないでしょうか。一から十まで素人意見なんですけれども。
無い行間を読む人間なので、あることないことを感じ取って勝手に好きが増しているだけな可能性大ですね。
だけどあの人がいろんな人から長く深く愛される素敵な人って事実は変わりないのでね。
ずっとすきでいられる保証はないんだけどね。疲れて追えなくなっちゃうかもしれない。あの人が目に見える場所での活動を止めてしまうかもしれない。人間がずっとこのままの状態を保っていられることはないから。
だけどわたしはたぶん、あの人があの人である限り、お姿が見えなくなったとしても健やかであることを願っていると思う。どうか楽しく元気に幸せであるようにって祈っていると思う。これは某同人声優さんだけでなく、某推しにも同じように思ってることだけど。
あの人である限り、っていうのは今の活動をずっと続けてほしいって意味ではなくて、あの人の大事にしているものが変わらなければいいなって、そういう気持ちです。やりたいことは常に変わっていくだろうけれど、芯は変わらないようにって、きっと変わらないんだろうなって。
全部全部わたしの勝手な押し付けです。でもわたしのすきになった人たちみんなきっと、そういう芯の強さを持っていると思うんですよね。そういう人だからこそ、すきになったんだよね。
長くなりすぎちゃった。とにもかくにもめっちゃすき、って話をしたかった。
◇2025の抱負
まず体力をつけます。フィットボクシングと筋トレと腹筋ローラーを再開します。目指せシックスパック。
やっぱり何をするにも体力が必要だなって痛感した年でしたね。体調が悪いと気力もなくなっちゃうのよ。運動をしたところで体調が良くなるわけではないんだけど、無いよりはあったほうがいいからね、確実にね。肺活量を増やすという面でも頑張りたいです。
それからなにかを形にしたいかな。
2024年の夏に数年振りに同人誌を作ったんだけど、やっぱり楽しかったのよ。きちんと形にするってこんなに達成感あるんだなって、久しぶりに実感したんですよね。
ずっと言ってる末裔まとめ本とか、すでに尻叩きをしている同人音声作品とか。なんでもいいからなにかを生み出したいな。
いまこんなにも頑張ろうって気力が湧いてるのは全部、某同人声優さんのおかげなんですよ。
あの人きっと、周りに元気と活力を与えられる人だと思う。あの人が発信している作品や配信はもちろんなんだけど、なによりもその姿勢や志がまっすぐだから。わたしも負けてられないな、頑張ろうって思えるんだよね。
別にあの人に対して負けず嫌いな性格を向けているわけではなくて。なんだろう、本当に純粋に、すごいなって、尊敬してるの。ああいう風になりたいなって憧れちゃうの。好意と尊敬と憧憬を同時に持つことができる。すごい人だと思う、ほんとに。
某同人声優さんの話ばっかりになっちゃった。それだけ2024年はわたしにとって、あの人が大きな存在だったんですよね。
そんなわけで本年も(今のところは)意欲に満ち満ちたわたしをどうぞよろしくお願いいたします。
2025年もあなたが笑っていられますよう、陰ながら祈っております。
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2024/06/30[Sun]
2008年6月28日土曜日。小雨が降っていたと思う。
朝からずっと、猫の小さな鳴き声が聞こえてたの。野良猫の多い地域だったから猫はしょっちゅう見かけてたんだけど、家の近くでずーっと鳴いてるなんて珍しかったんだよね。
気になって外に出てみたら、家の前の雑木林にちっちゃい黒猫がいたの。段ボールの中にいたから、もしかしたら捨てられたのかもしれない。
当時のわたしが何を思ったのか、もう忘れちゃったんだけど。その子をうちに連れ帰ったんだよね。
家族はみんな外出してたし、猫なんて飼ったこともごはんをあげたこともなかったし、その時は携帯電話もパソコンも持ってなかったからもうなんにも分かんなくて、だけどなにか食べさせなくちゃ!って、とりあえず家にあったベーコンを食べさせました。
いやこれほんとにダメだったなって反省してる。塩分過多じゃん。猫は喜んで食べておりましたけれども。身体に悪いものはおいしいもんな。そのせいか分からないけどうちの猫、他の人間食にはあんまり興味ないのにベーコンにだけは反応するようになったんだよね。ごめんて。
帰ってきた家族はそれはもう驚いてた気がする。帰宅したら娘がちっちゃい黒猫抱えてんだもん、そりゃあそう。
拾ってきちゃったものは仕方ない、ってことで父親はあっさりOK。反対したのは母親のほう。猫を飼ってるから賛成してくれるかと思ってたんだけど、飼ってるからこそいきものと暮らす大変さを知ってたんだろうね。
どうにかこうにか了承もらって、生後約3ヶ月のちっちゃな黒猫は晴れてうちの子になりました。
あの子が来てから、大きな出来事は二つあったかな。
一つは天井が抜けたこと。
うちの猫、二階の屋根裏に上るのがすきだったんだよね。古い家だったから押し入れの天井が壊れて開いてたんだけど、そこから屋根裏に上ってたの。
それを心配したのか気になったのか、弟がなぜか追いかけちゃって。人間の体重に耐えきれなかった天井が思いっきり抜けちゃったのよ。大きな音に驚いて二階に行ったら、天井から落ちて泣いてる弟と、屋根裏からまんまるな目でこっちを見てる猫がいたのを覚えてる。
あの修理費は痛い出費だったなあ…って後々父親がぼやいてました。
もう一つは腎臓結石になったこと。
たしか一歳ごろだったかな、夜中にぐったりしてたの。病院は開いてないしどうにもしてあげられなくて、とりあえず一晩中そばにいた覚えがある。そうして翌日病院に連れて行ったら腎臓結石ですねって。
PHコントロール用の食事を買って、それからごはんはずっとそれ。ちゅーるも缶詰もあげたことがないの。文句も抗議もなくずっと同じごはんを食べてたな、あの子。飽きたりしなかったのかな。わかんないけど。
それ以外は全然手のかからない子だったなあ。
トイレは一発で覚えてくれたし(たぶん飼われてたんだろうね)、マーキングしなかったし、おもちゃもキャットタワーもそんなに反応しなかったし、爪切りもあんまり嫌がらないし。たまに脱走してたけど、ビビりなのかなんなのか、遠くに行かず目の前のアパートの駐車場で固まってたし。
クールで孤高な子だったんですね、って言われた。そうかもしれない。
目が見えなくなっちゃったのはいつからだろう。たしか2022年の年末に帰省したときにはもう視力が悪くなってたと思う。
ずっと目がまんまるなの。そろりそろり歩いて、壁にぶつかる直前にたぶんヒゲで感知して、方向転換して壁に沿って歩いたりしてた。ごはんとかトイレの場所は覚えてたみたいだから、日常生活にはあまり支障が無さそうだったけど。
そのころから急に老いを感じ始めちゃったんだよね。若いころは9キロあった体重も半分くらいに落ちちゃって、白い毛が増えて、走り回ることがなくなって、でも毛並みはいつまでも綺麗だったな。
なんだかいのちの終わりが見えてる感じがした。どうか次に帰省したときも元気でいてくれますようにって、会うたびに祈ってたの。
2024年の5月にね、急にごはんを食べなくなっちゃったの。
一階の押し入れがお気に入りで、そこでよく寝てたんだけど、なんか鳴いてるなと思って開けたら猫がぐったり倒れてたって父親が言ってた。腎臓も肝臓も悪くなくて、胃腸炎の可能性もあるからとりあえず抗生物質を打ったけどおそらく年齢のせいだろうって。
点滴をした。ごはんを食べなくなった。介護食に切り替えた。水をあまり飲まなくなった。きっと老衰だと思うから自然に任せます。父親から都度送られてくる状況にひと晩悩んだの。
悩んで悩んで、翌日の日曜日に実家に帰りました。看取ってあげよう、って。だってあの子を連れてきたのはわたしだから。
猫ね、畳でぐったり横になってたの。
帰ってきたよって声をかけたら、手のにおいを嗅いで、んなあ、って鳴いて。わたしだってわかったのかな、覚えてたのかな、もう年に二回くらいしか帰ってないのにね。
このときばかりはリモートワークに感謝しつつ、仕事しながら猫のそばにずーっといたの。呼吸が苦しいのか時折掠れた声で鳴くことがあって。大丈夫だよ、ここにいるよ、って前足を握ってた。そうすると爪が食い込むほどぎゅうって腕を抱いてくるの。苦しいよね、そうだよね。どうして代わってあげられないんだろうって、どうもしてあげられないことが悲しくて申し訳なくて泣いてた。
2024年5月13日の22時ごろ、息を引き取りました。16歳と3ヶ月でした。
段々と呼吸の間隔が長くなっていって、いつ呼吸が止まったのかもわからないくらいだった。父親とふたりで確認して、なんだかまだ生きてるみたいだねって。熱の残る身体をずっと撫でてた。わたしも父親もそばにいられる時間まで待っててくれたのかな、最期までいい子だね、きみは。
母親にいろいろ手配してもらって、翌日の夜に火葬したの。
火葬場までの車内で、窓の外をぼんやり眺めながらずっと撫でてたの。そしたら火葬場の人が猫に触ったときに、あたたかいですね、きっと道中ずっとふれて撫でてこられたんでしょうね、って。体温って移るものなんだね。
帰省してからずっと、それこそ一生分の涙を流してたんだけど。火葬が終わって遺骨を見てからは涙が出なくなっちゃった。なんというか、もうここにはいないんだなって。目の前の骨はたしかにうちの猫なんだろうけど、でももう、ふれて撫でて名前を呼ぶことはできないんだなって、そう思った。実感が湧かない、っていうのとは違くて、なんだろ、ほんとにいなくなっちゃったんだなって、腑に落ちたというか、理解したというか。うまく言えないんだけど。
骨をひとつひとつ拾いながら、火葬場の人に思い出話をしたんだよね。天井が抜けた話、結石になった話。あんまり手がかからなくて、必要以上に甘えてこなくて、だっこされるのはあんまりすきじゃなくて、黒いかばんがすきでよく乗ってきたこととかを、ひとつひとつ。
いざ思い出話をするってなると、あんまり出てこないものだね。それだけあの子がいる日々が日常になってたのかもしれない。もっと大切に過ごせばよかったな。もう今更なんだけど。
葬儀とか火葬って、生きてる側のためにやることなんだなって思った。わたしは神も仏も天国も地獄も輪廻転生もなにひとつ信じちゃいないから、骨を納めて過去を整理しているこの行為は全部生者側の心の安寧のためにやってることなんだろうなって。
時々ふっと感じるんだよね。ああ、もうあの子はいないんだなって。たとえばツイッターで猫の写真とか動画を見たときに。近所の野良猫を見かけたときに。ぼんやり景色を眺めてるときに。実家に帰りたいなあって思ったときに。こうして文章を綴りながらあの子のことを思い出してるときに。この世界のどこにもあの子はいなくて、だけどわたしの日常はなにひとつ変わってはいなくて。腕にぎゅうって縋ってきたときに手首についたひっかき傷が一生消えなければいいって思ってたのにいつの間にか治ってしまっていて、それがなによりもさみしくて。一生分泣いたはずなのに、いまだに涙があふれてしまうの。
猫が亡くなる前日にね、夢を見たの。
猫ってば自分の名前を「かわいい」だと思ってるみたいで、ずっと「かわいい、かわいい」って言ってたのよね。この子自分の名前ちゃんとわかってんのかなあって心配になっちゃって、翌日はずっとずーっと名前を呼んでたのよ。
ね、きみの名前はダイゴだよ。わたしの初恋のウルトラマンからもらったの。できれば覚えていてほしいけど、きみが忘れたとしても、わたしがずっと覚えてるから。
今日はあの子の四十九日だから、つらつらと心を整理してみました。なんにもまとまってないけど。わたしの人生の半分以上にあの子がいたんだもん、どれだけ時間をかけたってまとまるはずがないよ。
ね、ダイゴ。転生なんて信じてないって言ったけど、きみさえよければまた猫として、うちに来てくれたら嬉しいな。きみの重さが、体温が、なにもかもが恋しいよ。
ありがとね、わたしと出逢ってくれて。だいすきだよ。
2023/06/19[Mon]
いまの最推しに出会ったのが2019年9月のことでした。
みなさんご存じ某秋のショーね。きっかけをもう忘れてしまったんだけど、たしか8月ごろリハ映像が流れてきた時に、陸の某ショーに出てた人だよ、って某氏が教えてくれて。それであれよあれよと言う間に沼っていった気がする。
まあ顔がよくて歌が上手でスタイル抜群で演技がピカイチだからね、必然ですよね。
2019年9月~10月31日まで出演されてたわけですけども、これまたみなさんご存じのとおり推しに会えなかったわけですよわたくしは。わりと通ってたのにことごとくシフト外れてた。最終日なんて同じ空間で同じ空気を吸っていたのにお会いすることが叶わなかったわけですよ。ラス日にいらっしゃらなかった仕組みというか理由を後々推し自身から伺うわけですが。当時はひとりで悲しみに暮れました。
2019秋で推しを知ってから初めての外部出演が2020年3月の予定だったのね。たしかレストランみたいな場所で給仕に扮したキャストさんたちが、歌って踊ってパフォーマンスするってやつ。これもまた後々それっぽいやつが再演されるのですが。
この出演の二週間前くらいにコロナが流行り始めて、どうなるんだろって思ってたら、たしか一週間前くらいに中止のお知らせが出たのよ。
そりゃあ落ちこみましたよ。だって半年越しにようやく推しに会えると思ったのにあのくそコロナ(おくちがわるい)のせいで機会を逃してしまったんですよ。
代わりにインスタライブをしてくれて、それはそれで楽しんだんだけども。
初めて推し主催でライブ開催してくれたのが2020年12月。そうですチケット抽選に外れたやつです。号泣しながら配信見てました。
そのあともたしか2021年3月くらいかな、ダンサーさんと共演するイベントみたいなのがやっぱりあのくそコロナ(おくちが)のせいで中止になっちゃって。
とまあ推しと対面する機会をことごとく逃しまくってたわたしですが、2021年11月のライブでようやく生で拝見できたんですよ。
ほんとにいたんだ、っていうのが最初の感想。それまで写真や動画でしか見たことがなかったから存在を疑ってて。いやいることは分かってるんだけどさ、生きて動いて喋って歌ってる推しを自分の目で見て、ほんとにいるんだぁ、って。
ライブ後にご挨拶させていただいた時もご本人に言っちゃったもん、ほんとにいらっしゃったんですね、って。いるよぉ!って言ってた。かわいい。
そこからは2022年1月、3月、6月に2回、8月、秋の某ショーで一応2回、12月、2023年4月のライブ、とそれまでの2年間まったく会えなかったのが嘘みたいにいろんなところでお歌を拝聴して、ありがたいことにちょこっとお話までさせていただいてました。
抽選ガチャじゃなければ会えるんですよね…ガチャだと一生推しを引けない女なのでね…2022年秋は死ぬ気で当てましたけども…。
ライブにお邪魔して、お話をするうちにお名前を覚えてもらったんですよ。まあ2019年秋からそれこそ四季の折々に意味もなく手紙を送りつけてた女ですからね、嫌でも覚えちゃいますよね。今では推しに苗字で呼ばれたり、なぜか他の出演者さんとか一緒にライブに行ったフォロワーさんとかに紹介されたりしてます。意味わからなさすぎてじわじわきちゃう。
そんなこんなで「推しに会えない女」を脱して、推しと写真を撮った女、推しに認知された女、とよくわからん昇格(?)をしていったわけですが。
先日とうとう、推しとビールを飲んだ女になりまして…いやこの字面なに。推しとビールを飲んだ女ってなに、わたしもわからん。
6月に外部のショーに出演されたのよ。お食事をしつつキャストさんの歌やダンスを楽しむお店が期間限定でオープンしてて、ピンチヒッターとして出演なさってて。4月末にも急遽出られてたんだけど、ちょうど実家に帰省してたから行けなかったので今回こそはと急いで身支度整えてフォロワーさんと行ったわけさ。
そしたらさ…なんやかんやあって推しとビールを飲みまして…どういうなんやかんやがあったら推しとビール飲む展開になるんだって感じだよね、わかるわたしもわかんない…なんか気付いたら乾杯してたんよ…
わたしビール飲めない人なんよ。味もだけど、炭酸が苦手でさ。だからここ数年まったく飲んでなくて、飲めないとばかり思ってたし。
だけど推しがビール注文してたから、せっかくだから推しと同じもの注文しよう、飲めなくても我慢すればなんとかなるでしょ、と思ってビールにしたわけですが…これが普通に飲めたのですよ…まあ味とか全然わかんなかったんで多分推しと酒を飲んでいる緊張感からすべてが麻痺して飲めたって感じなんでしょうね。ありがとう推し。
あれはほんとに現実だったのかなあって、二日経った今でも思うんだけど、どうやら現実らしい。あの土曜日が命日だと覚悟してたんだけど二日経った今でも生きてる。明日はしぬかもしれん。
四年前に推しを初めて知った時は、まさか四年後に推しと同じ卓でビールで乾杯するとは夢にも思わなかったよ。だって推しに会えない女ですから。
まめに手紙出して、行けるライブには行って、精一杯想いを伝えさせていただいていたおかげかな、とも思う。わたしとしては自分が行きたいから、伝えたいから伝えてただけではあるんだけども。それの積み重ねが推しの中に少しでも残ってたから、こうして顔と名前を覚えてもらって、いつもありがとうございますって(たぶん)喜んでもらえて、お酒飲みながらたくさんおしゃべりするまでになれたのかなって。
人生ってなにが起こるかわからんね。ほんとに。
推しとビールを飲んだ女って、次はなにになるんだろ…こわ…。
まあでも、推しが自由にのびのびと歌って、笑顔で楽しくお話してくれるのが一番嬉しいんだよね、わたしは。って、今回つくづく思った。
今回お客さんが少なかったってのもあるかもしれないんだけど、いつもよりリラックスして見えたのよね。全部が全部素ってわけではないんだろうけど、ご自身主体のライブよりは緊張感が少ないように見えて。そんな推しをずっと見ていたいなあ、って贅沢にも思いました。ほんとに贅沢。最初は生で拝見できたら死んでもいいって思ってたはずなのに、いつからこんなに贅沢になってしまったんだろう。それもこれも推しのせいです(人のせいにするスタイル)。
次にお会いできるのはいつだろうね。ライブももちろんだけど、あの空の下、広い舞台を演技と歌声で彩るあのひとも見たいんだよね。なにせあの場所での推しは一度も見られていませんからねわたくしは。
まあわたしに出来ることといえば、これまでと変わらず誠心誠意想いをこめた(気持ちの悪い)手紙をしたためるだけですね。今回分のお手紙もこれから書くつもりです。
早くも推しを恋しく思いつつ、今日はここまで。
2021/12/26[Sun]
神田沙也加という人を知ったのは、劇場で2回目のアナ雪を見た時だった。
すごく失礼な話なんだけど、この人に限らず、わたしは芸能人というものに疎くて。一緒に見に行った母親が、アナの声って神田沙也加だったんだ!って驚いてたから、誰、って聞いたら、松田聖子の娘だよ、って。松田聖子に娘がいたことも、わたしは知らなかったんだけども。そもそも松田聖子自体、人としてじゃなく有名な曲くらいしか知らないんだけども。
だからある意味でわたしは彼女のことを松田聖子の娘としてではなく、神田沙也加一個人として見ていた、と思う。
キャラとしてはもちろんエルサがすきだったんだけど、劇中歌で一番すきなのはとびら開けてだった。アナ雪が見たいからというよりも、あの曲とエンドソングを聴くために25回も劇場に通ってた。
それまでは、年に一回映画館に行くか行かないかって感じだった人間が、同じ映画を25回も見るなんて。おかげでいまも、気になった映画は劇場に足を運ぶようになりましたね。それもこれも、エルサとアナちゃんの歌のおかげだなあって思うんだけど。
アナ雪が大ヒット公開中のころ、ツイキャスだったかな、ライブ配信があったのよ。
そのころのわたしはまだツイッターに不慣れだったし、中の人にとりたてて興味があったわけでもないんだけど、たまたま時間が合ったかなにかで配信を見に行ったのよね。
内容は忘れちゃったんだけども、ファンのコメントをたまに拾って応えてくれたりしてて。
アナ雪に関するコメントが多かった気がする。だからついわたしもつられて「アナ雪ハマりすぎて20回見に行きました」(当時はまだ20回くらいだった)みたいなコメントをしたのよ。
そうしたら「えっ、20回も見てくれたの!?」って、コメント見つけてくれて、驚いてて。そりゃあびっくりするよね、普通見ないよね20回もね。
たぶんその配信の後に収録された番組(たしかおしゃれイズムだった)で、「20回も見てくれた人がいて~」って話してくれてたの。
わたしのことじゃないかもしれない。だけどわたしのコメントを拾ってくれた直後だったから、もしかしたらわたしのことを言ってくれてるのかもしれない、って。すごく嬉しかったのを覚えてる。
神田沙也加という人を意識して見たのは、キューティ・ブロンドっていう舞台だった。
もう5年くらい前だと思う。彼女が主演の舞台が地元で公演するから、せっかくだから観に行こうかなって。正直言うと、一緒に出演してる新田恵海っていう声優目当てで、隣県のフォロワーさん誘って軽い気持ちで行ったんだよね。
冒頭でモブたち(って言ったら失礼だけども)だけで歌が始まったんだけど、わたしがいる2階席まではいまいち声が届いてこないし、歌詞もはっきり聞き取れなくて。舞台初心者なわたしは、まあこんなものなのかな、って思ってたのよね。すきなキャストが見れればいいやっていう気持ちでいたから、歌とかには特に興味も期待もなくて。いま思えばほんとに失礼な話なんだけど。
だからこそその直後に出てきた彼女に衝撃を受けたの。
なんて上手いんだろうって思った。まっすぐな歌声で、歌詞のひとつひとつが聞き取れて、2階の端の席にまでちゃんと届けてくれて、表情の変化までつぶさに見えて。
びっくりした。ほんとに。歌は上手いんだろうなって思ってはいたけど、それまではアナちゃんの歌声ばかりだったから。舞台というかたちで生で目にして、なんて素敵なんだろう、って。新田恵海を見ることの方が主目的だったはずなのに、彼女が登場した瞬間から、あの人しか追ってなかった。
さっきも言ったようにあんまり芸能人に興味ないもんだから、ツイッターとインスタは、彼女と、Dの推したち数人と、朝夏まなとくらいしかフォローしてないんだけども。
彼女だけは、わたしがツイッターはじめたての8年前からずっとフォローしてて、舞台に出ることとか、アニメの声優することとか、ブランド立ち上げたこととか、ユニット作ったこととか、なんとなく追っかけちゃってて。彼女の生い立ちとか全然知らないからほんとに単純に、いろいろ頑張ってるんだな、すごいなって思ってて。
来年の4月にね、銀河鉄道999の舞台に出演する予定だったの。
うちの父親が999すきで、家に漫画が揃ってたから、わたしも小さいころから読んでてすきだったのよね。それの舞台ってどうなんだろって気になって、あの人がメーテル役で出るっていうから、それなら観に行こうって。
先行抽選に当選して、つい二週間くらい前にチケット代払ったばっかりだった。久々に生の彼女が見れる、って楽しみにしてた。
もう一度見たかったの、あの人の舞台を、演技を、歌声を。
機会はいくらでもあったはずなのに。いまはお金がないから、時間がないから、また今度にしようって。きっとまたなにかの作品に出てくれるはずだ、って。
どうして素直に次を信じていられたんだろう。次なんて不確かなものを信じてしまったんだろう。
後悔するのもしんどかった。なにも見たくなくて聞きたくなくて外界との繋がりを絶って毛布にもぐって目を閉じて、だけどどうしても考えてしまって、ああこんなにすきだったんだな、って。自覚する先から過去形になっていくことさえつらくて、なにもかも過去のことにするしかないことに耐えられなくて。
わたしのすごく大事な部分にいたんだなって、わたしという人間を構築してくれていたんだなって、今更知ったの。
わたしが上京するきっかけを作ってくれたのはアナ雪という作品で、そのおかげで歩めた人生があって、出逢えた人たちがたくさんいるんだなって。その大事なもののひとつが、ひとりが、もう永遠に、なくなってしまったんだな、って。
枯れるくらい泣いたはずなのに、なんでもない時にぽろぽろ泣いてしまうの。こうして書いている今だって、見ないように埋めていた現実が湧き出て息が詰まってしまうの。
どうしたらいいのかわからない。どうもできないのはわかってる。彼女の人生になにひとつ関わっていないわたしができることなんて、自分で自分を慰めるくらいしかないことくらいわかってる。
まだなにひとつ受け入れられてないのに、日が経つごとになにもかもが薄れていってしまう気がする。
お悔やみなんて言いたくない。彼女のことをなにひとつ知らないのに、安らかに、なんて言えるわけがない。
すきだった、とも言いたくない。わたしはまだ彼女を過去にしたくないの。
お願いだから、わたしのすきなひとたちみんな、いなくならないでよ。わたしが生きてるうちくらい、そこにいてよ。失ったものを乗り越えて生きていけるほど、わたしは強くないよ。たったひとつ失ってしまっただけでこんなにも心がぐしゃぐしゃになっちゃうよ。
わたしはよわいから、わがままだから、だからみんないなくならないでよ、おねがいだよ。
昨日ね、マイ・フェア・レディの千秋楽チケットを取ったの。
本当は東京公演を観に行こうかなと思って、だけど今は都合がつかないからって見送ってた舞台。
きっとただの自己満足なんだと思う。後悔を薄めたいだけかもしれない。気持ちの整理なんてつかなくて、余計にだめになっちゃうかもしれない。
だけど観たいから。ちゃんと受け止めたいから。行きます。
みんなも、最近めっきり寒くなってきたからうんとあったかくして、おいしいものたべて、すきなことして、すきなひとに会って、たくさん寝て、元気に健やかに、少しでも後悔のないように生きてね。
わたしのすきなひとたちみんな、楽しく生きられるよう、祈ってます。
2021/04/05[Mon]
誰しもいくつか、人生を変えた作品ってのがあると思うんだけど。
わたしの人生を変えてくれた作品は、「TOA」「ペルソナ3」「アナと雪の女王」「キャロル」「ファッショナブルイースター」「フェスティバルオブミスティーク」なんだよね。多いな。影響されやすい性格ってことでひとつ。
昨日イースターだったことだし、わたしとナブルについてつらつら書いていこうと思います。
ショーパレ界隈に入ったのは、とあるひとがきっかけだったの。
ツイッターで知り合ったそのひとと、2018年3月頭に初めて対面したとき。いまハマってるものとしてそのひとが紹介してくれたのが、ファッショナブルイースターだった。
ナブルの存在自体は知ってたんだよね。2017年に1回観に行ったことがあって、だけどそのひとと会った時はそのこともすっかり忘れてて。そのひとは特にカルロッタさんが好きみたいで、写真を見せながら色々話してくれたの。その話してる姿がかわいくていとおしくて。わんこみたいだなあ、って思ったことをよく覚えてる。
話を聞いた時は、とりたててナブルに興味を持ったわけじゃなかった。そりゃあもちろんカルロッタさんもグローリアさんも素敵で綺麗だけど、それよりも、自分の好きなものについて語ってくれるそのひとともっと近付きたいなあって思って。
ナブルの写真を漁っては、これいいですね、これ素敵ですね、ってラインを送ったの、そのひとに。もっと話したくて。もっと知りたくて。
んでまあ、気付けば沼にどっぷりだったわけですよ。
おかしいなー、上澄みすするくらいの気持ちだったんだけどなー、動いてるグローリアちゃん見たら一発で落ちちゃったなー、かわいいから仕方ないなー。
一度足踏み外しちゃったらまあ早い早い。
知ったのは3月頭だったはずなのに、中旬にはもう沼に浸かってて、お話書いて別垢作って。3月26日にナブル2018が始まるって聞いたから田舎飛び出して行ったわよスニーク。
なんだかんだと理由をつけて月に1回は行ったかな。まあ結局、スニークでしか推しに会えなかったわけですが。ことごとく推しに会えない自分を呪う。
ラス日に雨降ってご挨拶だけだったのも、思い返せばいい思い出…になるかよ。一生呪うわ雨女。自分じゃん。すみません。
そんでね、ナブルのお話書き始めてから知り合ったひとがいるんだけど。
そのひと、わたしがキャロルの二次創作やってたころから読んでくれてたらしくて。2017年かな、2016年かな、もっと前かな。わたしに触発されて、文章書き始めたんだって。
いや話盛ってたらごめんね某氏。訂正は受け付けます。
まあそういう諸々を、後々ご本人からお手紙もらって知るんだけども。
うれしかったなあ、やっぱり。わたしの書いたものから、作ってきたものから少しでもなにかを感じ取ってくれたことが。それを伝えてくれるってことが。いままでいろんな作品、いろんなひとたちに変えてきてもらったわたしが、誰かが変わる手助けをすることができたのかなあって。
誰かと同じものをすきになるとか、すきなものが同じとか、ずっと一緒にすきでいるとか。そういうひとと出会えたのって、すごい巡り合わせだよなあって改めて思います。
ナブルが終わって3年経ったいまもこうして繋がってくれてるひとたちにも、ありがたいなあって、常々思ってます。ありがとうねえこれからもずっ友でいてね(重い)
各方面に感謝を送りつつ、今日はここまで。
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